千鳥ヶ淵の桜花

千鳥ヶ淵の桜花

 慌ただしかった年度末が終わりを告げると思ったら、桜花が満開になっていました。天気は曇りだというので少しは人出が少ないかと考え、千鳥ヶ淵へ出掛けました。九段下駅で地下鉄を降り地上へ、やはり混んでいました。まず日本武道館のある北の丸公園に通じる田安門前まで行き、そこからソメイヨシノ染井吉野)の桜花に被われた牛ヶ淵と千鳥ヶ淵を鑑賞しました。さて、西郷従道銅像の横を通って、千鳥ヶ淵緑道へ入ろうと思ったら、靖国通の歩道に長い行列ができていました。列に並ぶのはあきらめて通行用に空けてある歩道を進み、インド大使館の角で左折し車道を歩き緑道の中間部へ向かいました。その辺で緑道に合流し、そこから千鳥ヶ淵戦没者墓苑の向かいまで、合計約260本もあるというソメイヨシノの桜花を観賞しました。
 何度かどこかで書いていますが、ここの特長は緑道が桜花のトンネルになっていることに加えて、千鳥ヶ淵の水面とその対岸の北の丸公園の土手の桜花も一緒に鑑賞できることです。歩みを進めていくと、近景の桜花のトンネル、遠景の土手の桜花、そして水面に映る桜花が微妙にずれながら移動していきます。私はこの景色と雰囲気が最高だと思いますし、夜ならば桜花がライトアップされていて幻想的な趣がさらに加わります。写真は緑道がやや右に曲がるところから撮ったもので、近景は赤い椿と桜花、そして遠景は千鳥ヶ淵の水面とその先で今度は左に曲がる緑道上の桜花です。
 千鳥ヶ淵緑道の桜花を観賞した後、今回は初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に足を踏み入れてみました。ここは割と人は少ないのですが、真摯にお参りしている方が結構いらっしゃいました。先の大戦第二次世界大戦又は太平洋戦争)で海外で亡くなられた戦没者(軍人軍属と一般邦人)は240万人もおられ、この墓苑は引き取る遺族のいないこれらの遺骨を納めるため、昭和34年(1959年)3月国により建設された「無名戦没者の墓」とのことです。
 この墓苑には御製(天皇がつくった詩歌)の碑が二つ建っております。一つは、墓苑創建の年の秋、昭和天皇陛下から下賜された御製を秩父宮妃殿下が謹書され、昭和35年(1960年)3月28日に竣工したものです。

くにのため いのちささげし ひとびとの
ことをおもえば むねせまりくる

 もう一つは、終戦60周年を迎えるにあたり、新春「歌会始の儀」で詠まれた今上陛下の御製を、常陸宮妃殿下が謹書され、平成17年(2005年)9月27日竣工したものです。

いくさなきよを あゆみきて おもひいず
かのかたきひを いきしひとびと

(注)余計な話ですが、お花見時の千鳥ヶ淵で洗面所を探すならば、戦没者墓苑が空いております。
 墓苑を後にし、旧フェヤーモントホテルのマンションの前を過ぎ、靖国通に戻りました。少し市ヶ谷寄りに歩き、通りを横断して靖国神社に入りました。靖国神社の境内は大変なにぎわいで、参道の途中にある大村益次郎銅像の前では音楽ライヴをやっておりました。また、参道の両脇には沢山の屋台が出店しており、そこで沢山の人々が屋台のお客になってお花見をしておりました。
 この日のお出掛けにはもう一つの目的がありました。銀婚のディナーです。地下鉄大江戸線で九段下から都庁前まで移動し、西新宿のホテルの中華レストラン(私が首都圏でトップ10には入ると思う高級店)に向かいました。25年目にただ1度しかないディナーですから、豪勢に行きました。シャンパンで乾杯し、フカヒレ姿煮、伊勢海老、牛フィレ肉、フカヒレ入り酢辣湯、鮑の入った海鮮オコゲなどを食しました。途中から12年物の甕出し紹興酒も味わいました。そして最後に、レストランからの記念のデザート(マンゴプリン、杏仁豆腐など)をいただきました。すべてとても美味でした。ありがとうございました。

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