上野東照宮を訪ねて

上野東照宮

 上野東照宮は、戊辰戦争関東大震災そして第二次世界大戦でも破壊・焼失を免れた、江戸時代の面影を残す貴重で幸運な文化財なのだそうです。現地説明板によれば、その縁起は次のとおりです。

 元和2年(1616年)2月見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛永4年(1627年)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず慶安4年(1651 年)現在の社殿を造営替えし、江戸の象徴とした。

 透塀(すきべい)で囲まれた社殿の敷地に続く正面の門が唐門(からもん)です(写真は唐門とその後方の社殿の屋根)。パンフレットの説明は次のとおりです。

 1651年建築。国指定重要文化財。総金箔の門で、両側上部にある松竹梅と錦鶏鳥の透彫は、精巧で美しく、室町・桃山の技術を集大成したものとして評価されています。柱の内外4額面には、日光の眠り猫で有名な、左甚五郎作の昇り龍・降り龍はがあり、不忍池の水を飲みにいったという伝説がごあります。頭を垂れているほうが昇り龍と呼ばれているのは、偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来するといわれています。

【現地説明板の東照宮歴史ものしりメモによる蘊蓄】
 唐門の正式名称は「向唐破風造り四脚門(むかいからはふづくりよつあしもん)で、桁行一間、梁間一間、屋根は銅瓦葺です。以前は参拝者はこの門をくぐって拝殿に昇殿しましたが、現在は彫刻保護のため通行できなくなっています。創建当時は身分により参拝規則が定められており、唐門の内側には身分の高い人しか入れませんでした。唐門の先も拝殿に上がれるのはさらに身分の高い人で、さらにその先の石の間(幣殿)には将軍家しか入れないなど厳しく決められていました。

 いつも美味しい食事と丁寧な応対に感動する上野精養軒のメインダイニング「グリル・フクシマ」で、夕暮れを眺めながら早めの食事をとりました。終わって外へ出ると暗くなっていました。上野公園の広小路側の入口では、動物達のイルミネーションが輝いておりました。

  • 江戸文化 今に引き継ぐ 東照宮