全都道府県訪問#44 鳥取県(&島根県)#8〜三徳山三佛寺本堂・投入堂

三徳山三佛寺奥の院「投入堂」(国宝)

 三徳山皆成院を過ぎて、さらに階段の参道を昇っていくと、三徳山三佛寺本堂に至ります。ここから先、あの有名な国宝の奥の院投入堂」(写真は、宝物殿にあった写真集から借用したもの)に向かうためには、入山手続きをしなければなりません。三朝温泉のパンフレットによれば、三徳山の歴史は次のとおりです。

 標高900m、山全域が国の史跡・名勝に指定される三徳山。そもそもの創まりは白鳳時代慶雲3年(706年)のこと。呪術にすぐれた役の行者(えんのぎょうじゃ)という超人が、「仏教に縁ある所に落ちよ」と祈って三枚の蓮の花びらを散らすと、その一枚が三徳山に舞い落ちた。こうしてこの地が、修験道の修行の場として開かれたと伝わります。その後、慈覚大師がお堂を建て、阿弥陀如来、釈迦如来大日如来の三尊仏を安置して、三徳山三佛寺となりました。

 宝物殿前の広場では、秋10月の最終日曜日に炎の祭典が行われます。炎の祭典とは、全国から集まった護摩木を火中に投じて、書かれている願いを叶えるという古来の修験道行事を主とする祭典で、燃え盛る炎の上を素足で歩く「火渡り神事」も行われるそうです。
 今回は入山しなかったので、投入堂は県道21号線(なんとこれが昔の山陰道だったらしい)沿いにある投入堂揺拝所から遥かに拝みました。三徳山三佛寺のパンフレットでは、投入堂を次のように解説しています。

 三徳山三佛寺奥の院で、日本でも代表的な建物である。前面は断崖に向けての舞台造りで、近づく道すらない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも表現しがたい優美な姿をかもしている。
 慶雲3年(706年)、役の行者が法力で岩屋に投げ入れたといわれ、「投入堂」と人々は呼ぶようになったと伝わる。

  • 常識を 超えた所に 建つお堂