池上梅園と池上本門寺を訪れて

池上梅園

 満開の梅が見頃という報道に接し、東京都大田区にある池上梅園に参りました。都営地下鉄浅草線の終点西馬込駅から南方向に歩くこと10分、梅園に到着しました。気温20度台前半という本日の陽気に誘われ沢山の人でごった返しておりました。写真は、下から丘陵斜面の梅を見上げたものです。
 池上梅園の由来はパンフレットによれば次のとおりです。

 池上梅園は池上本門寺の西に位置し、丘陵斜面等を利用した閑静な庭園です。戦前まで北半分は日本画家伊藤深水氏の自宅兼アトリエで「月白山荘」と呼ばれていましたが戦災で焼失。
 戦後築地の料亭経営者小倉氏が南半分を拡張し、別邸として使用していました。小倉氏没後、ご遺族の意志により、庭園として残すことを条件に東京都に譲渡されました。その後昭和53年(1978年)に大田区に移管され、紅梅を中心に植林・拡張(現在9,880?)をすすめ、現在では大田区の区花である梅は 370本(白梅150本・紅梅220本)を数えるまでになりました。毎年1月上旬の蝋梅から3月中旬の八重揚羽まで2か月にわたり、30種あまりの梅を楽しむことができます。

 池上梅園を鑑賞した後、東方向へ坂を上り、日蓮宗大本山池上本門寺を参詣しました。池上本門寺は、日蓮聖人が今から約710数年前の弘安5年(1282年)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡とのことです。仁王門(三門)から大堂(祖師堂)にお参りし、関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうちで一番古いといわれる、ここの五重塔に向かいました。
 五重塔の左横に力道山の墓への案内の矢印がありました。何となく矢印をしばらくたどって往くと、確かにありました。墓の左手前には「力道山之碑」が、右手前には「力道山之像」がありました。碑の揮毫は児玉誉士夫のものと記されてありました。また、像の台横に刻まれた建立者名簿には、三澤光春や小橋健太等のプロレスラーの名がありました。

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