全都道府県訪問#42 和歌山県#4(熊野三山#1)

熊野本宮大社の石段参道

 2日目から3日目にかけて、世界遺産でもある熊野三山を参詣して参りました。熊野三山とは、熊野本宮(ほんぐう)大社、熊野速玉(はやたま)大社、そして熊野那智大社の三つの神社を併せた総称です。この三山は紀伊半島南東端にあり、それらを直線で結べば直角三角形になるそうです。熊野古道は、熊野三山への参詣道であり、熊野詣は10世紀から15世紀にかけて盛んに行われ、蟻の熊野詣といわれたそうです。本宮⇒速玉⇒那智の順で巡るのが、中世以来の順路とか・・・。今回はそんなことは知らずに、熊野行幸のメインルートである中辺路(なかへち)に沿った現代の自動車用舗装道路を、この順路で巡ったことになりました。

 熊野本宮大社は、山深き本宮町にあり、一の鳥居から158段の石段を上って参詣します(写真参照)。本宮大社のご由緒は次のとおりです。

 当宮は熊野三山(本宮、新宮、那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。ご主神は、ケツミコオオカミ(家津御子大神)即ちスサノオノミコト素戔嗚尊)と申し、樹木を支配される神であり、紀国(きのくに=木の国)の語源もここから起こっております。

 本宮大社は元々は熊野川の中州の大斎原(おおゆのはら)にあったが、1889年(明治22年)の大洪水により倒壊、流失したため、2年後に現在地に一部は元の社殿の古材を使って再建されたそうです。大斎原には、今は日本最大といわれる鳥居が建っています。

 熊野速玉大社は、新宮市熊野川河口近くにあります。本宮大社とは熊野川でつながっていることになります。ご主神はクマノハヤタマオオカミ(熊野速玉大神)で、今は丹塗りの見事な社殿が並んでいます。しかし、ここも本宮大社流失より6年前、1983年(明治16年)に火災焼失し、1953年(昭和28年)に再建されるま仮社殿だったといいます。新宮には、速玉大社つまり熊野信仰の源となった、神倉山の霊石ゴトビキ岩(天の磐盾)をご神体とする神倉神社もありますが、麓からチラッと眺めただけでした。
 速玉大社には、熊野御幸の碑があり、次に引用するとおり140回の皇室参詣があったとのことです。その中でももっと多いのは後白河上皇の33度(那智大社では34度と書いてありました)だそうで、平安末期の源平時代の荒れた世相を反映していたのかもしれません。

 中世、宇多上皇(第59代天皇)の延喜7年(西暦907年)から玄輝門院の嘉元元年(西暦1303年)までの396年間に上皇女院親王を合せて御23方、140回に及ぶ皇室の御参詣があり、これを熊野御幸と言って熊野三山史に不滅の光彩を放っている。