日光の滝と紅葉#3(華厳滝)

日光・華厳滝

 いよいよ華厳滝(写真)です(紅葉は落葉です)。エレベータ(有料)で降りると滝壺近くの観瀑台に出られますが、そこの御案内板によれば次のとおりです。

 男体山の噴火で生まれた中禅寺湖の湖水が大肬(おおゆう?)川となって流れ出し、この大岩壁から一気に落下する壮大な雄姿が華厳滝です。
     高さ     97.0m
     落口巾    7.0m
     滝壺深さ   4.5m
     落水量 (毎秒1.3トン)
     (注:落水量の数字はその日の水量により変更されます。
        この日の水量は多い方だと思います)
 華厳滝を囲むこの岩盤壁は上部から安山岩、集塊岩、石英斑岩とで形成され中段の細い滝の数々は十二滝と呼ばれています。滝の流れは観瀑台直下の涅槃(ねはん)滝にかかり大谷(だいや)川となって鬼怒川に合流しています。

 また、(社)日光観光協会のホームページのパーフェクトガイドによれば、自殺の名所になったいきさつも含めて次のように紹介している(一部抜粋)。

 日光には四十八滝といわれるくらい滝が多いが、最も有名なのが華厳滝である。高さ97mをほぼ一気に落下する豪快さと、自然が作り出す華麗な造形美の両方をあわせ持つ。和歌山県那智の滝茨城県袋田の滝とともに「日本の三大名瀑」とも呼ばれる。名称は涅槃滝、般若(はんにゃ)滝などと一緒に仏典の「釈迦の五時教(ごじきょう )」から名づけ られたらしい。
 滝を間近で観覧できるようになったのは、1900年(明治33年)。7年もの歳月をかけて星野五郎平(ごろべい)が滝壷近くに茶屋を開いた。そして1903年明治36年)5月、18歳の旧制一高生であった藤村操がミズナラの木に「巌頭之感」を書き残して投身自殺をして以来、自殺の名所にもなってしまった。堅い岩盤をくり抜いたエレベーターが営業を開始したのは1930年(昭和5年)になってからである。
 6月にはたくさんのイワツバメが滝周辺を飛び回る。1月から2月にかけては十二滝と呼ばれる細い小滝が凍るため、華厳滝はブルーアイスに彩られる。

 藤村操の「巌頭之感」やその背景については、「小さな資料室」の資料にとても詳しく掲載されています。以下に、明治のリアリティを出すために、「巌頭之感」を元々使われていた旧字体の漢字を含めて引用します。藤村操の死は、彼が通っていた旧制一高で英語を教えていた夏目漱石にも影響を及ぼしているようです。漱石は藤村が予習をしてこなかったことで藤村を叱っていたため、藤村の死は自分が原因のように思ったようです。後に、藤村の死は、麹町の女子学院に通う1歳年上の馬島千代さんへの片思い(プラトニックラブ)が引き金という「恋人への遺書」が見つかったりして、新しい展開があるようです。

     巌 頭 之 感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

  • 真っすぐに 落ちる奔水 すべて絶つ