飛鳥山公園の桜(ヤエベニシダレザクラ等)と渋沢史料館・晩香盧・青淵文庫

渋沢史料館2階リフレッシュコーナーか

 先週末に飛鳥山公園に出掛けました。まず昼の腹ごしらえとして、東池袋サンシャイン60に向かう左角のビルにある宮城ふるさとプラザ渋沢の 真の実に参りました。1階奥に「伊達の牛たん本舗」があり、そこで本場仙台の牛たん定食を味わいました。お土産に、牛たんの美味しい部分だけを選り分けた「厚切り 芯たん 塩仕込み」と「牛たん ひき肉 キーマカレー」を買いました。
 そして当日の目的地、飛鳥山公園へ向かいました。JR王子駅に到着すると、左手南側一帯が飛鳥山公園です。飛鳥山公園江戸幕府8代将軍徳川吉宗が庶民に花見を楽しんでもらおうと桜を植えたのが始まりで、ソメイヨシノ主体に現在約650本の桜があるそうです。
 飛鳥山公園の東側半分は、日本に近代的経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840(天保11)年〜1931(昭和6)年)が所有していた「暖依村荘(あいいそんそう)」でした。暖依村荘は8,470坪(2.8ha)の敷地を持ち、渋沢が1879(明治12)年から別荘として、1901(明治34)年から本邸として利用した邸宅です。住居等主要部分は1945(昭和20)年4月の空襲で焼失しましたが、大正時代の小建築として貴重な「晩香盧(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が焼失を免れました。これらの建物は昔の面影をとどめる庭園の一部とともによく保存されています。晩香盧と青淵文庫は、毎週土曜日 12:30-15:45に内部公開されており、今回ちょうど見学することができました。
 焼失した本館のあたりに建設されている渋沢史料館の横には、満開のヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂桜)がありました。また、公園内には早咲きのギョイコウ(御衣黄)も淡い緑色の花を咲かせておりました。
 渋沢栄一先生は多くの人々から尊敬されておりますが、その思想と努力は史料館のパンフレットには次のように整理されております。

  • 株式会社組織により、多くの人々の知恵と資金を集め、道義に則った、活発な企業活動を展開して、豊かな社会を実現する
  • 国境を越えて、自由で活発な市場経済を実現し、人類全体を豊かにする
  • 市場経済の中で、取り残されがちな弱者を支援する社会福祉や、社会の基盤として大切な教育にも力を入れる

 これは、いわゆる「道徳経済合一説」で、彼は約500にのぼる会社の設立や経営に関わるとともに、多くの教育機関・社会公共事業の支援や民間外交にも尽力したそうです。藤原正彦先生が言うように、これは市場原理主義(金儲け主義)とは一線を画していると思います。写真は、史料館2階にあるリフレッシュコーナーから北東方向を写したものです。曲面の出窓から眺望する桜が見事で、上述のシダレザクラも右手前に観えます。
 晩香盧は、栄一翁の喜寿を祝って、清水組(現清水建設)4代目当主・清水満之助から贈られた建物(延べ床面積約72平米、竣工1917(大正6)年)とのことです。また、青淵文庫は、栄一翁の傘寿(80歳)のお祝いと男爵から子爵への昇格のお祝いを兼ね、竜門社(現渋沢栄一記念財団)が寄贈した建物(延べ床面積約330平米、竣工1925(大正14)年)とのことです。

  • 渋沢の 真の実業家 魂を

雄気堂々(上) (新潮文庫)

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雄気堂々 (下) (新潮文庫)

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