横浜三溪園

臨春閣

 横浜にある三溪園に行って参りました。ここは、春の桜、秋の紅葉、そして移築した古建築物で有名です。しかし、電車の駅から歩ける場所ではなく、行きづらいため、初めての訪問でした。
 パンフレットによれば、「三溪園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家 原 三溪(本名:富太郎)の元邸宅。彼は、ここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39(1906)年“三溪園”として一般に公開しました。175,000㎡(約53,000坪)の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されています。第二次世界大戦では大きな被害を受けましたが、昭和28(1953)年原家から財団法人三溪園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ、5年後にはほぼ昔の姿をとりもどしました」とのことです。ちなみに、今年は三溪園開園ちょうど100周年です。
 ハナショウブの群生がある大池の前で「ハナショウブの花は終わっているね」と言ったところ、隣に佇んでいたおじさんが「そう。ところで、ここのハナショウブ明治神宮から持って来たのですよ」とおっしゃいました。詳しいなと思ったら、ボランティアのガイドさんでした。そしてそこで振り向くと、目の前に蓮池があります。ちょうど早朝観蓮会をやっている時期だそうですが、そこで「蓮は咲くときのポンと音がするのですか」と尋ねました。実際は音はしないそうで、昔映画で姿三四郎が池の中で朝を迎えた時、周りで蓮の花が咲いたのですが、その時、効果音としてポン、ポン・・・という音を入れたために、妙な噂が広まったものだそうです。
 その後ガイドさんに案内されて、内苑を一回りし、そこにある古建築物の説明を受けました。写真にあるのが臨春閣で、元々は紀州徳川家初代・頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築だそうです。これを含めて重要文化財が10棟ある訳ですが、横浜市重要文化財が全部で15件なので、その2/3もがここ三溪園に存在するのです。歩き疲れて、ガイドさんと別れ、月影の茶屋で三色蕎麦を食しました。ガイドさんはボランティアということで、お礼は固辞されました。たまたま持っていた、500mlのペットボトル入りのお茶をやや無理やりに差し上げました。

  • この景観 原三溪の 執念か